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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ アボリジニー]


 機械で選別されたパイナップルが、ベルト・コンベアーで、次の工程である洗い場に運ばれてくるのだが、機械の調子が悪いのか、一個所だけ流れが悪く、パイナップルがそこに大量に詰まってしまう。
 詰まったパイナップルを一つ一つ手で取り除いて、機械の不調分をカバーしているのが、アボリジニーの青年だった。
 彼は、時折おびえたような目で、遠くにいるわたしたち見学者を見るが、そのときを除いて、ただ黙々と単調な作業を繰り返していた。
 その作業は、ほかの労働者に比べて、あまりにも「単調」だった。
「我が国には、貧乏人も金持ちもいない」と、オーストラリアの人々は自慢げに言うが、こういうとき、彼らは、原住民のことはすっかり忘れてしまっているのだろうか。
 あるいは逆に、意識しているからこそ、彼らのことをわたしたちに話したがらないのだろうか?
 オーストラリアの人々は、アボリジニーについてわたしがひと言でも尋ねようとすると、決まって「いい顔」はしなかった。

メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ アボリジニー]


 わたしが、オーストラリアの原住民であるアボリジニーを初めて見たのは、メルボルンに赴任して一ヶ月後に開催された「ムーンバ祭り」のパレードに登場する彼らであった。
 このときのアボリジニーは、わずかばかりの民族衣装を身にまとい、体じゅうに粘度で白い筋をつけていた。
 このような”見せ物”のアボリジニーなら、世界四大競馬の一つであるメルボルン・カップのパレードなどでも見ることができる。
 しかし、そうした機会を除いては、メルボルンやシドニーなどの都市部で彼らを見かけることはほとんどなかった。
 西オーストラリア州のパースやクインズランド州のブリズベンなどでは、白人の社会で生活しているアボリジニーもいる。
 彼らは、はだしで、街角にぼんやりと突っ立っていることが多い。
 これに対して、彼らの”働いている姿”を見たのは、ブリズベン郊外のパイナップル工場でだった。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ 白豪主義]


 つまり、ナンシーさんの皮膚の色は、「入国を許可できるものではない」としたのだ。
 だから、姉夫婦の下で、何の心配なく養育されていることがわかっていても、国外に退去させる方法しかなかったのだという。
 しかも、これは俗に言う「白豪主義」とは違う、と言うのである。
 あれから八年、労働党内閣が誕生して情勢は一変した。
 オーストラリア移住者協会の人々が、ナンシーさんの再移住許可を政府に申請したところ、これが認められたのだ。
 それでも、”タカ派”の政治家たちは、「オーストラリア国内を、アジア人であふれさせる気か」、「アジア人は大家族だし、彼らの移住を認めたら、どういうことになるのか」などと、激しく反発している。
 白豪主義を巡っては、時代とともに、オーストラリア自身も変わりつつあるのは事実だ。
 だが、その前途はきわめて「多難」で、まだまだ「道は険しい」と言わなければならない。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ 白豪主義]

 パーキンス氏は、車の中で待機していた警察官の目を逃れて、ナンシーさんが乗せられることになっていた飛行機が飛び立つまで、彼女をかくまってやった。
 だが、前政府は冷酷だった。
 結局、六才の少女は、以前住んでいたフィジー島に追いやられたが、その理由は「皮膚の色が黒いから」だった。
 これより前、当時の移民大臣は、六才のナンシーさんの国外追放問題について、次のように発言している。
「オーストラリアは、これまでも「白豪主義」などという政策をとったことがない。 オーストラリアは、この国にやってくる(移住する)のにふさわしくない皮膚の色をしている者を、入国させるわけにはいかないだけの話なのだ」・・・。

メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ 白豪主義]


 一九七三年、労働党政府は、前政府のときに「インド人だ」という理由でオーストラリアへの永住が認められず、いったん国外に追放されたナンシー・プラサドさんの再移住を認める決定をした。
「オーストラリア人と結婚した彼女の姉は、もちろんこの国に永住できるが、ナンシーさんは別」というのが、前政府の見解だった。
 実は、彼女を巡っては、後にドラマティックな事件が起きている。
 当時六才だったナンシーさんは、姉夫婦と一緒に住んでいたが、国外退去を命じられて、オーストラリアから出国するため、空港にやってきた。
 すると、オーストラリア原住民であるアボリジニーの市民権運動の指導者チャールズ・パーキンス氏(原住民担当者次官補で、アボリジニーのただ一人の大学出身者。三八才)が、ナンシーさんの姉の腕から、彼女を奪い取るようにして、走り去った・・・。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ 白豪主義]


 白豪主義は、低賃金でよく働く彼らに対し、一部の白人労働者が、「自分たちの労働条件を悪化させる恐れがある」として、中国人の排斥に動いたことに始まる。
 中国人の多くは、ゴールド・ラッシュが下火になるとともに故国に帰ってしまったが、このときに抱いた中国人に対する白人労働者の警戒心が、一九〇一年の移民制限法の制定につながったことは、前に触れたとおりである。
 保守政権時代の一九六四年にも、オーストラリア政府は、「白豪主義」を意味する表現を、公的には一切使わないことを決めたが、実態にほとんど変化はなかった。
 また、アジア、アフリカ地域からオーストラリアに移住しようとしても、ヨーロッパ地域からの移民に与えられている渡航費の補助なども認められなかった。
 そればかりか、アジア人には、英語やそのほかの厳しい試験が課せられ、これらの試験に合格するのは、非常に困難であった。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ 白豪主義]

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 移民政策の変更は、オーストラリアへの移民を希望するヨーロッパ人が、年々減少していることと無関係ではなかった。
 また、労働党政権の外交政策とトーンを合わせるためにも、いわゆる白豪主義(Regulated Immigration=以前は White Australian Policyという表現が使われていた)を、解消する必要があったのだろう。
 ウイットラム政権は、これまで、南アフリカのアパルトヘイトやローデシアの人種差別政策を激しく非難してきたので、国内政策も、当然、その主張を反映するものでなければならなかった。

 ところで、オーストラリアの白豪主義の歴史は古く、一九世紀の半ば、ゴールド・ラッシュの時代にさかのぼる。
 この時代、大量に導入された中国人労働者は、低賃金で、実によく働いた。
 その結果?・・・。
 

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [[ 課題 〜 白豪主義 ]]


 一九七一年六月二一日、オーストラリア労働党の政策決定の最高機関である連邦党大会が、タスマニア州のローンセストンで開かれた。
 この大会で、「将来、オーストラリアに労働党内閣が誕生したら、移民政策は、人種や皮膚の色、国籍などによる差別はまったくしない」と決議した。
 その労働党が、一九七二年一二月、二三年ぶりに政権の座に返り咲いたが、その翌七三年一月末には、早くも移民法が改正されている。
 改正された移民法では、移民を認める条件として、次の三つを挙げている。
◎ いかなる人種にかかわらず、
(1) 経済的能力があること、(2) 健康であること、(3) オーストラリアに定着できること。
 以上の三点が明確に示された。
 これは、ウイットラム政権下の労働党の政策が、人種差別の解消に前向きの姿勢で取り組むことを示すものとして、高く評価された。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ テレビの影響]


 親友のボブに、この点を尋ねてみると、
「要するに、テレビを支配するか、テレビに支配されるかの問題だろう」と一蹴されてしまった。
 彼の家庭では、テレビを見る時間を厳しく制限しているので、テレビがあっても、マイナスの影響を受けることは、ほとんどないと言う。
 さらに、ボブは付け加えた。
「カラー・テレビになったところで、わたしたちの家族に大きな変化は起きないと思うよ。
 もし、変化が起きそうになったら、テレビを売り払ってしまうまでさ。
 だけど、家のペンキ塗りや、芝生の刈り取り、車やボートの手入れ、家の掃除、買い物と、やることがたくさんあるので、とてもテレビの前に、じっと座っている暇なんてあるわけがない。社会奉仕などに活動している妻だって、まったく同じだと思うよ」。

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メルボルン イズ ブルー・メルボルン イズ グリーン [ テレビの影響]


 わたしは、万事に行動的で自分の体を動かすことが大好きなオーストラリア人の生活に、いったいどんな変化が現れるか、密かに興味を抱いている。
 例えば、デパートなどで、カラー・テレビならぬ、カラー・ビデオの公開があると、黒山の人だかりが見られるし、
「日本では、カラー・テレビが普及しているんですって?」との質問は、もう耳にタコができるほど多くの人たちから聞かされた。
 だから、カラ−・テレビに対するこの国の人々の関心は、決して低くはないと言える。
 しかも、新品のカラー・テレビなら三〇万から四〇万円近くするところを、八万から一〇万円ほど出せば、白黒テレビがそっくりカラー受像機に変わるという怪しげな? 「コンバーター」まで販売されているのだ。
 当時のオーストラリは、正に、「カラー・テレビ前夜」の様相を呈していた。

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